今から、34年前に上越大和は開店しました。
当時学生で、地元を離れていたので、華々しい開店セレモニーは
記憶にありません。
並んでいるものも、我々庶民には少し敷居が高いと言う意識があって
同級生のお店で、世間話をする程度に、行くだけでした。
最近では、弟の家族が帰省のたびに、母が積立商品券を握って
喜んで孫や、お嫁さんに靴や洋服を見立てていたことを思い出します。
素人考えで、こんな時期はこんな手をと,外部から評論してましたが
特にこれと言った打開策もないまま、閉店となりました。
「低層階の商業施設」大きな枠組みは決まったようですが
長崎屋跡地の例でもわかるとおり、計画実行にはまだまだ多くの
時間がかかることが、予想されます。
「昔のような賑わい」は無理にしても、ユニバーサルな買物のしやすい
商店街を目指して、行きたいものです。
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さみしくなります(大和閉店)
コメント
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計算すると、13歳のときに開店したことになります。
開店時の様子は覚えていませんが、
洗練された都会の百貨店が、
同じ町内にあることを誇らしく思っていたように記憶してます。
コーチャンの弟くん こんばんは
そうですね、長崎屋とは違った気品がありましたね。
我々は次の展開に期待するしかないです。
こんにちは。
25日の夜は、ジュ・タドーに行ったんですけど、
通りにもほとんど人がいませんでしたね。
日曜日の夜だからかもしれませんが・・・。
賑わいが復活することを願ってます。
こんにちは。
同じような賑わいが戻ることは無理にしても
地域密着型の商店街、小規模でも続いていくものであれば
何でもいいのですが。
直江津の海へ向かう狭い路地に立つ朝市には
どこからともなく湧き出るように人があふれだすんです。
初めて行ったときは感動しました。
そんな「人を呼ぶ何か」とはなんなのでしょうね。
安い、新鮮、毎日使う??
チカさん こんにちは
>賑わいが復活することを願ってます。
賑わいが簡単に復活することはありません。
今は維持することでも、大変ですから。
夜の本町は、散歩客で賑わっています。
kikukoさん こんにちは
kikukoさんが言うのは、三八の市ですね。
高田には、二七の市(本町の市)四九の市(大町の市)と
二つの市が立ちます。
今は、二つとも大町でやっていますが、二七の市は
本町が昔キャンセルしたんでしょうね。
原点に戻って、本町も市を復活させればいいんですけどね。
生鮮三品は、どうしても買い物頻度が高いですから。