中越地震の思い出
2014年10月25日
もう10年ですか、早いものですね。
欧州車のクラブの友達とファミレスで、草レースの打ち合わせをしてるときでした。
舟に揺られてるような感覚で、軽い船酔いの印象でした。
幸い地元では、大きな被害もなかったのですけど、川口町を中心とした
中越地方は、ご案内の通りものすごい被害でしたね。
2日ほどして、災害復旧支援ということで、発電機と
作業工具一式を車に乗せて、現場に向かうようにと
ガス水道工事組合から指示があって、私が代表で向かいました。
(他の人には、頼めませんからね)
このような特別な事態ですから、うちは直ぐに対応したのですが
他の事業所で、仕事の忙しいところは、応援に行くことを渋っていたら
当局から、恫喝のようなことがあったと聞いています(怖!
私たちは第2陣で、寝泊まりはビジネスホテルでしたけど
第1陣は、段ボールの寝床に、ごはんはおむすびだけだったとか。
さすがに作業は毎日遅くまで続き、晩飯を食べ入浴を済ませると
日付が変わっていた事も、当たり前のように続きました。
このような非常事態で、力を発揮するのは「東京ガス」の工務部隊でしたね。
数百人の烏合の職人集団を、まとめ上げて仕事を差配するわけですから
多くの修羅場をくぐってきたのでしょうね、誠に素晴らしかったです。
*画像掲載を基本にしていますが、現場の状況があまりにひどかったので
撮影をしませんでした。よって、この関連の画像はありません。
- 投稿者:蛇口まん内藤
- 日時:05:55
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